Up 数学専門性の欠如は,「新作」づくりに 作成: 2012-08-25
更新: 2012-09-03


    教員は,数学専門性を欠いている。
    これは,教員の不勉強ということではなく,教員養成課程および教員職が数学専門性の陶冶と両立しないということである。

    数学専門性を欠く教員が算数・数学科の授業をつくるとき,それは「新作」づくりになる。
    そして「新作」は,「何でもあり」を現していく。


    数学専門性が基盤にある授業の場合は,数学が「古典」になる。
    数学の授業は,古典の語りである。

    さらに,古典を語る力 (授業力) は,数学専門性とはまた別のものである。
    この力は,語る力の鍛錬と古典に対する理解深化を合わせた修業によってつくられる。
    修業の成果はなかなか現れてこない。
    修業は,腰を据えじっくり時間をかけて取り組むのみである。


    数学専門性を欠く教員は,もとより古典としての数学を持たない。
    よってなおのこと,数学の授業を古典の語りとして行うことはできない。
    教員は,「新作」をつくり,これの語りを授業とする。
    実際,これを授業のやり方とするのみである。

     註 : 古典の語りと新作の語りは,特に心理の位相において異なるものになる。
    古典の語りは,つぎが構えになる:
     「話がもともとよいのだから,
      語りの要諦は,これを相手に素直に伝えること。

    そこで,この語りは,穏やかなものになる。
    新作の語りは,話を信ずるに足るものにできないので,興味・関心を相手にいかにもたせるかを,語りの要諦にすることになる。
    そこで,この語りは,にぎやかなものになる。