Up 教員は授業力が低く,そして低いまま 作成: 2012-11-16
更新: 2012-11-16


    教員は未熟である。
    すなわち,「堆積と風化」の成長モデルを<授業力>にあてはめると,つぎの図のようになって,教員は<学力>レベルで低迷したままである:
    成長
(堆積と風化)
 
<授業力>レベル
<学力>レベル
 
← ここで低迷したまま
    ここで,「低迷」の様相は,<学力>レベルでありながら<学ぶ>をしていない,である。

    <学ぶ>とは,この場合,何を行うことか?
    一つは,「数学専門性の陶冶」である。
    ただしこれは無理である。
    教員養成課程および教員職は,数学専門性の陶冶と両立しない。

    もう一つは,「授業の形(かた) を身につける」である。
    授業力陶冶は修業であり,そして修業一般がそうであるように,形(かた) の修業である。

    なぜ,<学ぶ>をしないのか?
    授業への<慣れ>を<授業力>と取り違えてしまうためである。
    自分の授業に合格点をつけてしまうので,<授業力の伸びしろ無し>の構図になる。
    『算数・数学科は,教員の授業力がなぜ低い』

    そして,未熟の授業づくりは,ノンカテゴリカル になる。
    ノンカテゴリカルとは,「何でもあり」のことである。