Up <出口→学校数学>に対する<学校数学→出口> 作成: 2010-11-19
更新: 2010-11-19


    学校数学は,「学校数学によってつくられる主体」のコンテクストで,論考/研究の対象になる。 すなわち,<出口=主体>に対する<手段=学校数学>となる。

    <出口-手段>の枠組に対しては,<出口→手段>の解釈が主流になっている。 《出口を承知している者が,出口を実現する手段を求める》というわけである。
    学校数学出口論であれば,<出口=主体 → 手段=学校数学?>になる。
    そして「数学的リテラシー」は,このタイプの出口論である。

    一方,「数学を勉強して何の役に立つ?」の問いがある。
    これは,「学校数学の 出口となる主体が,自分はわからない」と言っているわけであり,<学校数学 → 主体?>である。
    この立場を出口論と並べて見るとき,出口論の<主体→学校数学?>はアタリマエでなくなる。 すなわち,出口論がその前提のところから論点になる。