Up 成長論 (「数学のカラダ」論) へ 作成: 2009-11-30
更新: 2011-08-09


    出口論は,出口から学校数学 (指導内容・指導方法) を臨む。 そして,<数学>で,授業・指導課程を組もうとする。
    この方法は,数学 (体系) を壊すものになる。

    学校数学において数学 (体系) は壊してはならないものである。
    数学学習が成長にとって必要なものであり,そして数学 (体系) の学習がこの必要な数学学習だからである。

    数学学習は成長に関わる。 <数学学習が成長に関わる>は,<学習した数学を実際に使う>とは別のことである。
    学校数学は,この数学学習を起こすものということでは,一般陶冶である。 そしてこの一般陶冶は「<数学>で一般陶冶」である。 ( 「数学」が一般陶冶の形)

    ただし,いまは論点先取して述べている。 「<数学>に一般陶冶の意味づけを与える出口論」が論点であるが,これの立論は可能であろうか?
    実際,立論では,「数学学習は成長に関わる」と謂うときの「成長」の論考が難題になる。 ことばというものは,この「成長」を述べるようにはなっていない。 このことばの無力の問題を何とかしなければ「成長」の不可知論にとどまることになり,<数学>に一般陶冶の意味づけを与える出口論の構想は最初の段階で早くも頓挫する。

    この認識の上で,ここに「<数学>に一般陶冶の意味づけを与える出口論」の立論を課題にする。
    そして本論考は,この課題を導くための論考であった。