Up 「数学・数学」に対する立場の布置 作成: 2009-08-25
更新: 2009-08-25


    学校数学の<役に立つ/立たない>とは何か?を考えることは,反照的に,<個の多様性>の中の自分を現すことになる。
    さらに,この<個の多様性>は,思考類型を現していく。

    このときの思考類型を,つぎのフレームにおける布置で考えることにする:


    経験主義-対-合理主義は,簡単に言って,言語哲学の違いである。

    合理主義の言語哲学は,イデア論である:
      世界は言語に写像される。(表象主義)
    したがって,世界は言語によって思考し表現することができる。(分析主義)
    特に,世界は論理実証的に理解可能である。(論理実証主義)

    一方,経験主義の言語哲学は,プラグマティズムである:
      世界は複雑系である。
    思考・表現の道具としての言語には,分限がある。
    不可知なものについては思考停止するのみである。
    ──「語り得ぬものについては,沈黙しなければならない。」(Wittgenstein)


    例として,「問題解決指導」にこのフレームをあてはめてみよう。

    「問題解決指導」は,認知科学を立場にしている。
    認知科学は,人間の知的行動を「情報処理」に解釈しようとする。すなわち,人間の知能を人工知能として考える。
    人間の知能を人工知能として考えるとは,知能をプログラムの発現として見るということである。 このプログラムは,言語で書かれる。
    よって,知能は,言語によってアクセス可能である。 すなわち,<言語の論理的運用>としての合理的思考が,知能を解明する。

    実際,「問題解決ストラティジー」論でやっていることは,単純に,行動用語の含意分析である。 問題解決行動の用語それぞれに「ストラティジー」のことばをつければ,問題解決ストラティジーになる。 語の含意関係が,問題解決ストラティジーの階梯になる。
    おそろしく単純なトートロジーをやっているのだが,これが合理主義というものであり,合理主義の立場ではこれでよいのである。

    そこで,「問題解決ストラティジー指導」の位置はつぎのようになる:



    ちなみに,日本の数学教育学の主流は「アメリカン・スタンダード指向」の意味の「科学主義」に立っているが,これは合理主義である。
    本論考は,意識としてはつぎを立場にしている: