Up 要 約 作成: 2009-11-04
更新: 2010-10-01


    数学教育の学会・学界では,「学校数学の出口となるべき社会的人材とは?」の問いを立てこれを論じることが,主流になっている。 この場合,期待される人材をアウトプットすることが,学校数学の理由になる。 すなわち,「なぜ学校数学か?」の問いに対しては,「このような人材を社会に送り出すため」と答えることになる。 本論考では,言い回しの簡単のために,これを「出口論の答え方」と称することにする。

    ひとが現前を理由づけようとするときは,「目的」を以て理由づけようとする。 「これこれの目的のためにそれは在る」という形である。
    このようにするのは,これがひとにとってのわかりやすい形だからである。
    出口論は,学校数学をこの形で理由づける。 よって,ひとが受け入れるものになる。

    しかし出口論は,一見意味のあることを言っているようだが,内容を突き詰めると空虚を曝す。 すなわち,出口論は出口を記述するが,そのことばの中身はリアルであることができない。
    実際,出口は,行為語「○○」を使って「○○できる人材」という形で記述される。 しかし,「○○できる」は,内容・状況・経験値依存である。 「○○できる人材」は,存在できない。

    加えて,出口の設定は,これを出口とする学校数学を導けない。 出口論は学校数学の構築に進むことにはならず,出口論のままで終わる。
    出口の設定が学校数学を導かないのは,数学がもともとそのようなものではないからである。 実際,出口論の意義は「経済効果」にある。


    キーワード:数学教育出口論,OECD-PISA,表象主義/西欧合理主義,指導課程