Up 「人間陶冶」がおかしく設定される 作成: 2010-11-09
更新: 2010-11-09


    出口論主流の基本形は,こうである:
出口は,「○○できる人間」。
「○○」の中に,「数学を使う」がある。
学校数学は,「○○で数学を使う」人間をつくることが仕事。
    しかしこれは,ほんとうか?

    出口の相対化を試してみる:
      例:「徳の高い人間」
        「時代の流れに動じない・世事に流されない人間」

      これの方が当たっているのでは?

    また,数学 (学問) の精神も,「使う・使わない」で数学 (学問) をやっているわけではないというふうになる。

    実際,自分自身のことを考えてみても,「○○で数学を使う」をやっているという感じはしない。

    そして,発信源 (震源) には癖がある。
      例:アメリカ,OECD