Up 「パラダイム」 作成: 2010-08-13
更新: 2010-08-13


    学会・学界においては,《これまでとは違う研究の方向・規準が新たに起こり,一定期間持続し,そしてまた新たな研究の方向・規準にシフトする》が,現象としてある。 この一時期の「研究の方向・規準」を指して,「パラダイム」と呼ぶ。

    パラダイムの意味で重要なのは,パラダイムは課題解決に至ることによって収束するというものではない,ということである。 パラダイム・シフトは,課題が解決されて別の課題に向かうというようなのではない。
    そこで,「パラダイムは何のためのものか?」という問いになる。

    パラダイムの始点から学会・学界を眺めると,学会・学界はパラダイム・シフトを新陳代謝の方法にして生きるもののように見える。
    ここから翻って,パラダイムの意味は「学会・学界が新陳代謝の方法としているもの」であり,これ以上でも以下でもない,という見方が立つ。
    そしてこの場合,学会・学界に (そして社会に) 「経済効果」をもたらすことが,パラダイムの意義になる。


    数学教育学会・学界の学校数学出口論は,「学校数学が実現すべき人材の像を定め,この人材をつくるものとして学校数学を構成する」という発想に立つ。 これは,「改革」の発想であり,実際「改革」のムーブメントをつくる。 そして,このムーブメントに「経済効果」が示される。

    この種の学校数学出口論は,「経済効果」をいいところ回収したところで,新装の数学教育出口論にシフトする。 「シフト」には「蓄積」の意味はない。 「ずらし」がもともとの意味であり,そして出口論のシフトは,実際「ずらし」である。

    これらが示すことは,《数学教育学会・学界は,学校数学出口論をパラダイムとして用いている》ということである。
    学校数学出口論は,「経済効果」を機能にしている。
    学校数学出口論は,学校数学の改革を成果にするものではない。
    特に,学校数学出口論は,学校数学の改革を成果にしていないことを以て批判されるものではない。