Up 出口論主流の条件:分析主義・表象主義 作成: 2009-11-27
更新: 2010-04-08


    出口論を哲学がつくるものと見るとき,哲学には出口論をつくるのが得手なものと不得手なものがある。 あるいは,出口論を文化がつくるものと見るとき,文化には出口論をつくるのが得手なものと不得手なものがある。

    出口論をつくるのが得手な哲学は,分析主義である。

    分析の対象になるのは,ことばである。 一つのことばを,「概念分析」の趣で分析する。 分析するとは,これの含意になることばを導いたり,これの要素概念になることばを導くことである。
    この操作は,けっこう延々と続けることができる。 そして,こうして集めたことばを含意関係や<要素─構造>の視点で再編集すれば,一見高級感のある対象記述ができあがる。 この「高級感」は,「学術的」とか「科学的」に転じる。

    翻って,分析主義を退けたら,「学術的・科学的」風の出口論はできなくなる。 もたもた物言いの,そして寡言な,出口論になってしまう。

    出口論をつぎからつぎと新装し発信することが営みになっている文化がある。 出口論を産出する文化は,表象主義の文化である。 ──表象主義は,出口論をつくらせる。
    アメリカの文化は,これである。

    一方,日本は,出口論の受信・同調を営みにすることが文化になっている。
    受信・同調であって,自ら発するというのではないのは,根が表象主義の文化でないからである。
    出口論をつくるときは,表象主義に立たねばならない。翻って,表象主義に立たなければ,出口論はつくれない。 出口論がつくられないのは,その文化の欠陥とか限界といった問題ではなく,特質の問題である。