Up 学校数学は,<数学>(実質陶冶) 作成: 2009-09-08
更新: 2010-09-29


    本論考は,学校数学を<食べる・運動する>の一つとした。 そこで,つぎのようになる:
      きちんとした数学をきちんと勉強することが,結果的によいカラダをつくる。
    卑近な「役に立つ」を考え,これに直接向かう具合に学校数学を編成することは,成長する子どものためにならない。
    「きちんとした数学をきちんと勉強させる」は,「実質陶冶」である。 よって,つぎのようになる:
      学校数学の形は,「実質陶冶」である。

    「学校数学の勉強は役に立つ」の「役に立つ」は,道具の「役に立つ」ではない。 学校で勉強した数学が将来使われることがあるかどうかは,考える必要がない。

      高校数学で複素数 (平面ベクトルのスカラー) を扱うことは,高校生のためになる。ただしその意味は,道具の「役に立つ」ではない。

    学校数学は一般陶冶として立てるものになるが,この一般陶冶の形は「実質陶冶」である。 そこで「実質陶冶」とは,本論考の立場では,つぎの主張のことになる:
    「学校数学の勉強は役に立つ」が実現されるためには,学校数学は内容的にしっかりしたものでなければならない。──すなわち,真に/本質的に数学でなければならない。