Up 「カラダの傾向性」の論述 作成: 2011-08-12
更新: 2011-08-12


    本論考は,数学学習の意義を「よいカラダづくり」で見ていく。
    「よいカラダづくり」を意義とするものは,「食物・運動」である。
    そこで,数学学習は「食物・運動」として見ていくものになる。
    そしてこのとき,数学学習の論述は,「食物・運動」の論述として考えるものになる。

    「食物・運動」としての数学学習の論述は,どのようなものになるものか?

    このときの「よいカラダづくり」の「カラダ」の実体は,位相変化する神経細胞のネットワークである。
    「カラダ」をこの次元で考えるとき,「食物・運動」と「よいカラダ」を結ぶメカニズムは,論考において根源的に不可知な部分になる。よって,これの論述は保留である。
    論じることになるのは,「よいカラダ」の内容である。

    「よいカラダ」は,どのように論じることになるか?

    順番として,「カラダ」の論述方法が定まって,「よいカラダ」の論述となる。
    「カラダ」は,どのように論じることになるか?
    ここで,ライルの方法を使う。
    すなわち,「カラダ」の論述はカラダの「傾向性 (disposition)」の論述になり,そして「if-then」が「傾向性」を述べる形になる。

    「カラダ」の論述が「傾向性」の論述になったことで,「よいカラダ」の論述は「よい傾向性 (よい if-then)」の論述になる。
    そして,「食物・運動」としての数学学習の論述は,「数学学習はよい傾向性をつくる」の論述になる。