Up 「学習内容個々の用は,系の構成素としての用」 作成: 2008-09-13
更新: 2011-08-05


    時計の歯車は,単体では用いようがない。 無用である。
    時計の歯車は,時計の中に在って<用>を表す。 しかもそれは,「無くてはならない」という形の<用>である。

    数学科で学習する個々の内容は,これと同様である。
    単体では無用のものになる。
    数学の一定の系の中に在って,「無くてはならない」という形の<用>を顕す。


    例:高校数学の<2次方程式の解の公式>

    2次方程式の解の公式が役に立っている生活実感はない。
    「<2次方程式の解の公式>的考え方」にしたら,「役に立つ」を言えそうか?
    「 的考え方」の表現にゆるめても,生活実感にするのは無理である。
    では,2次方程式の解の公式の学習は,無用ということになってしまうのか?

    高校は,<高校生に経験させるもの>を高校生に経験させる場である。
    さて,何が<高校生に経験させるもの>の内容になるか?
    経験的に,<学問>が<高校生に経験させるもの>の一部になると考えられている。
    何が<学問>の内容になるか?
    経験的に,<数学>が<学問>の内容の一部になると考えられている。
    何が<数学>の内容になるか?
    経験的に,<微積分>が<数学>の内容の一部になると考えられている。
    何が<微積分>の内容になるか?
    系構成的に,<2次関数のグラフ>が<微積分>の内容の一部になる。
    何が<2次関数のグラフ>の内容になるか?
    系構成的に,<2次方程式の解の公式>が<2次関数のグラフ>の内容の一部になる。

    こうして,<2次方程式の解の公式>が<高校生に経験させるもの>の構成要素になる。
    翻って,<高校生に経験させるもの>は,この種の<単体では無用なもの>が構成している。