Up 「学習過程は,結果を残して自らは無くなることが用」 作成: 2011-08-05
更新: 2011-08-05


    経験的に,数学学習は人の成長にとって必要と考えられている。 そこで学校数学を構成する。 するとこれは,<単体では無用なもの>を組み上げる形になる。
    これ以外の形はない

    しかも,「単体では無用」というだけではない。
    学習した内容は,すぐに忘れてしまう。 使う機会をもつより先に,無くなってしまう。
    学習した内容は,実際に無用なのである。

    そこで学校数学は,生徒が無用の長物の学習を強いられているふうになる。
    しかし,これ以外の形はない

    こういうわけで,学校数学を行うことは,つぎを真な命題として受け入れることである:
      学校数学は,無用の長物の学習である。
       しかしこの学習が,人の成長になる。
    さて,この命題はどう理解したらよいのか?


    土を盛って山をつくる。
    風化によって,いい具合の形が残る。
    欲しかったものは,これである。
    この形を得るために,土を盛って山をつくる作業をしなければならなかった。

    数学学習は,土を盛って山をつくる作業である。
    学習した内容は,風化で無くなる。
    しかし,いい具合の形が残る。
    数学学習がこの形を得る方法である。 したがって,数学を学習するほかない。

    <いい具合の形>とは何か?
    ひとが「一般能力」と称してきたものである。