Up 「数学を教える」に対する不足感には思考停止がある 作成: 2011-10-02
更新: 2011-11-10


    「数学を教える」は,きまって不足感がもたれる:
      数学だけを教えてよいのか
    すなわち,「知識の教え込みではなく,思考力をつける」というときの「知識の教え込み」だと受け取られる。

    不足感から,余計/筋違いなことが開始される。
    そして,余計/筋違いは,<数学を教える>を壊す。

    「学校数学 = <数学を教える>」に対する不足感には,<数学を教える>の含蓄に対する思考停止がある
    <数学を教える>を,自明にしてかかっているわけである。
    <数学を教える>の条件

    結論から言うと,「学校数学=<数学を教える>」に不足はない。
    思考力陶冶は,<数学を教える>の形式陶冶としての含蓄である。
    実質陶冶も,<数学を教える>の含蓄になる。