学校数学の理由は,学校数学の「用」で説明することになる。
そして,この「用」は,学校数学の「無用の用」というものになる。
(ここで,「無用」の意味は「道具として用いない」。)
学校数学の「無用の用」は,<傾向性>の形成である:
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<傾向性>の形成は,「堆積と風化」のプロセスである。
数学を勉強することは,「堆積」である。
勉強した数学の内容は,自分のうちで消えて無くなる。
これは「風化」である。
一方,この過程が<傾向性>をつくっていく。
勉強した数学の内容が自分のうちで消えて無くなることは,学校数学の「無用」である。
この過程が<傾向性>をつくっていくことは,学校数学の「無用の用」である。
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そしてこの<傾向性>の形成は,「形式陶冶」のことばの指しているものである:
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一般に,「傾向性」は「if(状況)─then(行動)」の形で機能的に表現される。
「if(状況)─then(行動)」を<形式>と見るとき,傾向性陶冶は「形式陶冶」である。
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つぎが「形式陶冶」の図式である:
《内容 (数学) が抜けて,形式が残る》
《よい内容 (数学) がうまく抜けて,よい形式が残る》
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