Up 数学の勉強は,<傾向性>の風化造形 作成: 2011-09-01
更新: 2011-10-04


    成長は,カラダに取り込んだ物の<累積>ではない。
    取り込んだものは,消えて無くなる。

    取り込みと消散が同時に続けられる過程で,ひとつの形がつくられていく。
    これが成長である。

    翻って,取り込みは,つぎのことを展望した取り込みである:
      《取り込んだ物それ自体は消えて無くなるかわりに,一つの形が残る。》
    成長は,いわば風化造形である。

    成長の風化造形で「残る形」に相当するものは何か?
    本論考では,[G. Ryle, 1949] で謂うところの「傾向性」を,これにあてることにする。

    この枠組を,「数学の勉強」に適用する。
    数学の勉強は,<成長のための滋養取り込み>である。
    勉強した数学の内容は,自分のなかで消えて無くなる。
    取り込みと消散が同時に続けられる過程で,ひとつの形がつくられていく/残されていく。 それは,<傾向性>である。

    勉強した数学の内容が消えて無くなることが,学校数学の「無用」である。
    そしてこの過程が<傾向性>をつくっていくことが,学校数学の「無用の用」である。


    要点:勉強した数学は,自らは無くなって傾向性を残すことが「用」である。
       勉強した数学は,傾向性の内容として残っていくのではない。