Up 形式陶冶 = <数学を教える>:要旨 作成: 2011-10-14
更新: 2011-10-14


    形式は直接そのものとしては造れない。一旦物を積み,この堆積物を風化に晒す。残る格好で形を現してくるのが,所期の形式というふうになる。
    よい形式を得ようとするときは,よい物を積まねばならない。 学校数学の「形式陶冶」での「よい物を積む」は,「よい数学をきちんと勉強する」である。
    こうして,形式陶冶の方法は,<数学を教える>だということになる。 裏返して言うと,形式陶冶は,「よい数学をきちんと勉強する」から外れることで損なわれる。

    形式陶冶は,<数学を教える>が方法である。 古典的な「形式陶冶」の考え方が,以来ずっと「形式陶冶」の正しい捉え方である。
    対して,よく見かけるつぎのような対立軸の立て方は,間違っており,「形式陶冶」を誤解させるものになる:
      <知識の教え込み>ではなく<思考力をつける>
      <数学を>対<数学で>
      <実質陶冶>対<形式陶冶>

    「数学的考え方」「数学的問題解決」「数学的リテラシー」は,形式の直接構築をやろうとする。 <数学で教える>が方法論になる。
    <数学を教える>ではないので,形式陶冶にも実質陶冶にもならない。 <なにものでもない>になる。
    しかし,この<なにものでもない>ものが<学校数学をリードすべき考え方>と目されるという現実がある。