Up 古典的な「形式陶冶」の考え方が正しい 作成: 2011-09-29
更新: 2011-11-10


    形式は,<数学を教える>を介して実現するものであり,直接陶冶できるものではない。 形式陶冶は,つぎのようになる:
      <数学を教える> → 形式陶冶
    すなわち,古典的な「形式陶冶」の考え方が,以来ずっと「形式陶冶」の正しい捉え方である。
    「学習の転移」に対する「形式」による説明も,古典的な「形式陶冶」の考え方に立つものである:
      狭く深く学習 → 学習の転移が可能に」

    特に,つぎのような対立法で「形式陶冶」を立てるのは,間違いである:
      <知識の教え込み>対<思考力をつける>
      <数学を>対<数学で>
      <実質陶冶>対<形式陶冶>
    「<知識の教え込み>ではなく<思考力をつける>」が間違いなのは,「<数学を教える> → 形式陶冶」が 「<知識の教え込み> → <思考力をつける>」であるから。
    「<数学を>対<数学で>」が間違いなのは,「<数学を教える> → 形式陶冶」が 「<数学を> → <数学で>」であるから。
    「<実質陶冶>対<形式陶冶>」が間違いなのは,<数学を教える>がこの中に実質陶冶を含むから。 ( <数学を教える>は,実質陶冶になる)