Up <数学を教える>は,熟練の技 作成: 2011-09-02
更新: 2011-10-02


    <数学を教える>は,難しい。 しかし,「数学だけを教えていればよいのか?」の言い方があるように,数学を教えることは難しいことのようにはむしろ思われていない。

    事実は,<数学を教える>は,授業者に求めるものが多い。
    <数学を教える>は,授業者に高い能力を求める。
    <数学>の何たるかをわかっていること,<教授- 学習>の何たるかをわかっていることが,授業者の要件になる。

    特に,<数学><教授- 学習>は,数学者・数学教育者を立場/ 職業にしている者だったらわかっている,というものではない。 立場/ 職業は,それだけのものである。 これに能力の含意はない。

    実際,<数学を教える>は,技( わざ) である。
    この技を磨く実践は,修行である。
    <数学を教える>は,「10 年かかるものは10 年かかり,20 年かかるものは20 年かかる」の修行の世界である。

    <数学を教える>に対する「技」の見方は,強調される必要がある。 というのも,授業はアイデアだと思っているふうが,見られるからである。
    特に,数学教育学の中ではそうである。 「アイデア実験群が統制群より有意に高得点」が,授業の優劣を論じたことになってしまう。

    授業がアイデアの問題なら,<経験>は授業力の要素でなくなる。 しかし事実はどうかといえば,授業理解・授業力は,繰り返すが,「10 年かかるものは10 年かかり,20 年かかるものは20 年かかる」でつくられていくものなのである。

    <数学を教える>論は,定石論になる。
    「授業のアイデアいろいろ」論ではない。