Up | 主題のとらえ | 作成: 2008-10-03 更新: 2008-10-03 |
こんな調子である:
「算数・数学の授業は,計算を教えて,できるようにすればよい。 いろいろ調べたりする必要がない。」 彼らは,算数/数学の各主題の意味を考えるということを知らない。 自分では,意味を考えていると思っている。 しかし,「意味を考える」ということを知らないで意味を考えているので,主題のとらえでは肝心要を外して/欠いてしまう。 主題の意味を考えるとは,先ずその<数学>を知ることである。 しかし,彼らは決してこれをしない (やろうとしない)。 なぜ? こんな調子であるから:
「算数・数学の授業は,計算を教えて,できるようにすればよい。 いろいろ調べたりする必要がない。」 よって,
中学数学の授業は,教員が中学生のアタマでこれをやる。 高校数学の授業は,教員が高校生のアタマでこれをやる。
中学数学の授業は,中学生の「数学の授業ごっこ」。 高校数学の授業は,高校生の「数学の授業ごっこ」。 主題のとらえで肝心要を外し/欠き,この状態をそのまま授業に持ち込む。 そして,荒唐無稽を教えてしまう (荒唐無稽の受け入れを生徒に強制)。 例えば,「分数」の授業の肝心要は,つぎのことの明示/明言である:
また,「÷」の授業の肝心要は,つぎのことの明示/明言である:
しかし,これを知っている/やっている/できている教員は,割合的にゼロである。 指摘されればだれもが「当然であり,また,当然行っているはずだ」とする肝心要も,自分では外してしまい,そしてそのことに気づかない。 例えば,教員ならみな「量の比を自分は正しく扱っている」と思っている。 しかし,事実は全くそうでない。 「数・量」の各主題は,どれも「量の比」を骨格にしている:
この「量(U)─数(n)─量(Q)」の骨格をきちんと扱える教員には,先ず出会わない。 不思議なことに,たいていの教員が「U を1と見る」のような言い回しを使う。 そしてこれにより,「量の比」の単純骨格を見えなくしてしまう。 |