Up 出口論主流のディレンマ:生命活動=破壊活動 作成: 2010-11-19
更新: 2010-11-19


    学校数学出口論主流は,数学教育の系の生命活動を担う。

    一般に,系の生命活動の形は<攪乱─復旧>の繰り返しであり,出口論主流の場合もこうなっている。
    ところで,攪乱は破壊である。
    出口論主流は,攪乱として破壊をやる。

    出口論主流の破壊性は「新陳代謝」の破壊性であり,生命活動そのものであるから,これに対し「鎮める/退ける」を短絡的に考えると間違う。

    出口論主流の破壊性とは,数学教育の常道を壊す(数学教育をおかしくする)というものである。
    そしてこれには,つぎのものがある:

    1. 「人間陶冶」がおかしく設定される
    2. 授業内容,指導法がおかしくなる
    3. 体系が壊される


    1. 「人間陶冶」がおかしく設定される

    出口論主流の基本形は,こうである:
出口は,「○○できる人間」。
「○○」の中に,「数学を使う」がある。
学校数学は,「○○で数学を使う」人間をつくることが仕事。
    しかしこれは,ほんとうか?

    出口の相対化を試してみる:
      例:「徳の高い人間」
        「時代の流れに動じない・世事に流されない人間」

      これの方が当たっているのでは?

    また,数学 (学問) の精神も,「使う・使わない」で数学 (学問) をやっているわけではないというふうになる。

    実際,自分自身のことを考えてみても,「○○で数学を使う」をやっているという感じはしない。

    そして,発信源 (震源) には癖がある。
      例:アメリカ,OECD


    2. 授業内容,指導法がおかしくなる

    出口論主流に応ずる授業実践は,授業の無数の要素のうちの一つ/数個に一辺倒,というふうになる。
    言い換えると,「数学教育は複雑系」を無視して,単純思考に入っていく。

    例えば,「コミュニケーション能力の育成」の授業実践がどのようになっているかを,見てみる。
    「コミュニケーション」は,グループ・ディスカッション (ディベイト) とグループ・プレゼンのことにされる。
    そしてこのとき,<独りの沈思黙考>が無くなり,<独りのことばにならないこだわり>が消される。
    すなわち,<数学>が消える。

    しかし,一辺倒は弊害ではなく,まさに求められていることである。
    実際,「一辺倒にならない」とは「普通をやる」ということである。 そして,出口論主流の役割・機能である「攪乱」は,普通を壊すことである。
    (ディレンマ!)


    3. 体系が壊される

    出口論主流は,<数学>を用いる。
    しかし,体系的な内容は,<数学>がやりにくい。
    そこで,<数学>をやりやすい内容を求め,<数学>をやりやすい内容で再構成しようとする。

    生活単元の趣きのものに進んだり,「離散数学を!」の要望が出されたりする。

    もっとも,学校数学の体系が壊されるという事態は,これまで如実には起こっていない。
    専門数学が暗黙の抑止機能になっているとか,あるいは抑止機能として意識されているということであろう。