Up 結論──「数学的リテラシー」とはどういう問題か 作成: 2010-11-21
更新: 2010-11-21


    「数学的リテラシー」は,つぎのように研究活動が進捗するところの研究課題であると受け取られている:
      これの概念分析によって要素概念および問題構造が明らかにされ,
    この作業を通じて実践課題が明らかにされ,
    実践研究を通じてこれの指導方法が確定され,
    指導課程が実現される。

    実際には,「数学的リテラシー」はこれを課題として立てるところで既に大きな論点を孕むことになる:
    1. 自分の領域を画定することが困難。
      授業を<現行の数学主題の指導>の形につくれば,<数学>に回収される。
      授業を<問題解決>の形につくれば,「数学的問題解決」に回収される。
    2. ゴール概念としている「数学を使う」を自明のものにしているが,実際にはまったく自明ではない。

    しかし,「数学的リテラシー」の課題設定には,これの内容の如何を超えた重要な意味がある。 すなわち,「パラダイム」がこれの意味である。

    数学教育を,<数学教育の系>の運動と見るとき,そこには「出口論主流」の形をしたパラダイムの現象が観察されてくる。 「数学的リテラシー」は,「数学的考え方」「数学的問題解決」の系譜にある出口論主流である。

    出口論主流は,系の自動運動の様相を示す。
    この運動は,学界・行政・ビジネスの成果主義がモーメントになるものである。 学校現場から出てくるのではない。 実際,一期一会の生徒に対し時代の当たり外れを被らせる役回りになることは,学校現場の望むところではない。
    しかし,学校現場はこの運動にしばし翻弄されることになる。 学校現場のこの問題の構造は,<疎外論>ということになる。

    しかし,系のこの自動運動は,系の生命活動 (「新陳代謝」運動) であり,根源的なものである。
    系はこの運動を必要とし,無くなりそうになったら新たにつくりだす。 そして,効率よくつくる。 この形が,<同型の繰り返し>である。 「数学的リテラシー」が「数学的考え方」「数学的問題解決」の系譜にある出口論主流であるという言い方をしたが,それはこういう意味である。