Up 学校数学形態形成学へ 作成: 2014-07-03
更新: 2014-07-03


    学校数学に長く棲んでいると,学校数学を臨む視座を退いてみることを覚え,学校数学が構造を持った系として見えるようになる。
    併せて,系の運動が見えてくる。
    運動の規則性・法則性が見えてきて,その運動の要素・モーメントに目を向けるようになる。
    このとき,「学校数学=生態系」が現れてくる。

    そこでつぎに,学校数学の諸現象が「学校数学=生態系」の含蓄として解釈できないか,と考えてみる。

    学校数学の論は目的論・実践論の趣でつくられるのがふつうだが,虚心坦懐に学校数学を臨めば,学校数学は「意味/出口/是非/進歩」と無縁のように運動している。
    学校数学への取り組みが改善・改革であるならば,学校数学の長い歴史の間に,学校数学はずいぶん進歩していなければならないはずである。
    しかしそうでない。
    系としての学校数学の運動には,「自己維持」の意味しか見いだせない。
    これは,どうしたことか?

    不思議に感じるが,「学校数学=生態系」の視座につけば,当たり前のことになる。
    生態系は,そこに棲む個の「こんな系をつくろう」の行動でつくられているのではない。
    個の自己本位の<生きる>の均衡相が,生態系である。
    学校数学に対する個の実践の「する」は,「学校数学=生態系」の「なる」に包摂される。

    こうして,学校数学の「なる」論が立つことになる。
    本論考は,これを「現成」の論としてつくろうとした。

    本論考の学校数学現成論は,経験論でつくっている。
    その経験の内容は,学校教員を長く観察してきたこと,教員養成課程の授業を長く務めてきたこと,「数学的○○」のムーブメントを,「考え方」「問題解決」「リテラシー」と目撃してきたこと,「生活単元」「数学教育の現代化」「ゆとり」といったムーブメントを参照・目撃できる時代に生きて,「数学で」と「数学を」の振り子運動も検証できたこと,等である。 本論考の学校数学現成論は,この経験があってこそのものである。

    しかし,現成論は,<経験の所産>に留まる限り,学術/科学にならない。
    数学教育学の立場からは,現成論を学術/科学にする方法論が課題になる。
    本論考の閉めとして,この方向性について簡単に言及しておく。

    「学術/科学にする」とは,規範学に仕立てるということである。
    計算論理を導入し,計算 (推理) ができるようにするということである。

    それは,どのようなものになりそうか?
    本論考は,複雑系理論の謂う「創発」の理論になると見る。
    「創発」を基盤に措く「形態形成学」である。

    実際,「学校数学=生態系」における個の行動は,単純なものと見なせる。
    生態系で<生きる>は<生かされる>であるから,様式化されるのである。
    「複雑」の出番となるのは,「単純行動の相互作用の均衡化」のところである。

    「創発」へのアプローチは,「創発」をつぎのタイプの生成ないしこれらの複合として考えてみるのが第一歩である:
    • 自己複製
    • 螺旋型生成──生長点と形成層
    • 自己相似の生成──フラクタル構造に,自分自身をつくる
    • チューリング波

    実際,「自己複製」は,「指導関係」「研究グループ形成」「数学的○○」等に使えそうである。
    「螺旋型生成」は,「中央と地方」「執行部と一般」「欧米に傾倒」等に使えそうである。
    「自己相似の生成」は,適用例をさがしにくいが,「組織の拡大」でピッタリはまる例があるかも知れない。
    そして「チューリング波」は,研究グループや学会のダイナミックな離合集散に使えそうである。