Up 「意味」の問い 作成: 2014-05-02
更新: 2014-07-05


    現前は,惰性として存在する。
    学校数学は,惰性として存在する。
    特に,いま在る者にとって所与である。

    一般に,ひとは惰性に対しては「何?なぜ?」の問いを起こさない。
    一方,ひとは,惰性に矛盾や不具合を感じることになる。 そしてこの感じが昂じるとき,ひとは「何?なぜ?」の問いを起こす。
    「学校数学」もこれと同様である。
    学校数学は何をするもの?」の問いが起こる。

    本論考は,この問いにはつぎのように答える:
      学校数学は,何かをするものではない──無意味
        (「「学校数学=生態系」の含意として」)

    生態系は,これの<在る>に意味をもたない。
    生態系である学校数学は,意味をもたない──何かをするものではない。
    学校数学は「教育目的」を立てるが,それは生態系の要素であるところの<生きる>の一つである。