Up 同じことの繰り返し 作成: 2012-12-26
更新: 2014-07-06


    学校数学は歴史が長い。 そこで,もし学校数学が進歩するものなら,この間ずいぶんと進歩していなければならないはずである。
    事実はそうではない。

    学校数学は,右肩上がりの上昇運動では全くない。
    同じことの繰り返しが観察されるのみである。
    即ち,攪乱と均衡回帰の繰り返しになっている。
    そしてこれには,拍動と振り子運動の2タイプが観察される。

    学校数学は,こうした<同じことの繰り返し>になっている。
    学校数学は進歩するものではないということである。

    実際,<学校数学=生態系>は,自己維持する系であり,それ以上でも以下でもない。
    「自己維持」の内容は「代謝」であり,「代謝」が<同じことの繰り返し>の意味である。
    学校数学は,ただ在る。 その「在る」は,「代謝を止めない」である。


    ひとは,教育を,進歩すべきものとする。
    進歩がないのは,非難されるべきことであるとする。
    この考えのおおもとには,「進歩」を善とし「進歩しない」を悪とする考え方がある。
    しかし,もともと,人・社会・自然に進歩はない。

    人・社会・自然は運動する系であるが,その運動は<自己維持する系>の運動であって,「進歩」と無縁である。
    人・社会・自然は,ただ運動する。
    自身の存る形として──それ以上でも以下でもない形として──運動する。

    学校数学は,運動する系であるが,その運動は<自己維持する系>の運動であって,「進歩」と無縁である。
    学校数学は,ただ運動する。
    自身の存る形として──それ以上でも以下でもない形として──運動する。
    その運動は,<同じことの繰り返し>の運動である。


    同じことの繰り返しの意味は,「代謝」である。
    「代謝」は,「進歩」と無縁である。
    例えば,世代交代は,もともと「代謝」がこれの意味であり,「進歩」と無縁である。 実際,世代交代はつぎのようになる:
    • 個の成長は,前世代レベルに到達するくらいまで
    • 個の成長は,次世代に引き継がれない

    さらに,時代の流れによっては,「退歩」もある:
      《精進よりもプロジェクト/新機軸》の時代の流れでは,<肝心>が失われる。