Up 「ジタバタ」 作成: 2014-02-02
更新: 2014-02-26


    本論考は,「授業=ジタバタ=形式陶冶」を立てた。
    「ジタバタ」は,指導法として,授業の差異/格差の要素になる。

    「ジタバタを課す」は「丸投げ・放ったらかし」が基本である。
    助けない・独りでやらせる,ということである。


    しかしここに,「交流」というのが,今日どこでもやられるようになってきた。
    交流をやらない授業はダメ」みたいな趣きになっている。

    「交流」をやる教員は,動けないでいる生徒のことを無効な時間を過ごしていると思う者である。
    そして,《この場合「まわりとの話し合い」に入らせることが,せめてもの有効な時間を過ごさせることになる》と思う。

    ところでこれは,水泳の授業でつぎのどちらをとるかの問題である:
    1. プールの中に入れ,好きにさせる。
    2. プールに入らなくてよいことにし,プールに入っている子と話し合いをさせ,それで勉強がなったことにする。
    実際,《生徒は「まわりとの話し合い」で勉強ができる》とする授業者は,《生徒は「まわりとの話し合い」で水泳の勉強ができる》としていることになる。

    この授業者は,つぎのことを知らない者である:
      《「動けないでいる」は,「勉強」の重要な様態の一つである。
       「動く」よりはるかに重要になっているときもある。》