Up 作法 ── 授業一定化の契機 作成: 2012-04-21
更新: 2014-03-08


    授業が多様である一方で「授業」と呼べるのは,「授業」の大枠に収まっているからである。
    授業/学校数学の系には,授業の作法を定め,授業を一律/一様/一定にしようとする契機が存在している。
    この契機によって,授業は自由勝手なものにならない。

    学校教育が備える以下の装置は,「授業」の大枠をつくることに与っている:
    • 授業内容を,『学習指導要領』により定める
    • 教科書を,検定教科書とする
    • 授業時間数を,定める
    • 授業者は,免許をもたねばならない (教員養成課程を通過しなければならない)
    • 教員研修を制度的に推進し,授業の手本を示す
    • 指導理念を,出口論等を以て定める


    実際,学校教育は,「現前は,授業の同等・同水準が成っている」を立場にしていることになる:
      自分の受けている授業は,他と比べてどうか?と心配するものではない。
       授業は,どこも同じである。

    例えば「学校区」の運用があるが,これは「授業同等・同水準」が前提になる。 ──「学校区」を運用するということは,「授業同等・同水準」を立てているということである。

    つぎが,「授業同等・同水準」の論理である:
      授業内容は,『学習指導要領』により,一様に定められている
      教科書は,一様に検定を通っている
      授業時間数は,一様に定められている
      授業者は,一様に免許をもっている
      授業者は,一様に授業力を培っている
      指導理念は,一様にもたれている

    授業は,「授業」を括る大枠の中で,多様を現す。
    そしてこの多様は,「他と比べてどうか?」の心配をもっともなものにする。
    即ち,つぎのようには答えられない:
      自分の受けている授業が他と違っていることは,心配することではない。
       授業の効能は,どれも同じである。
       授業は,何でもよい。