Up 「当たり外れ」の現前 : 要旨 作成: 2013-01-25
更新: 2014-03-18


    「学校数学」論は,「授業」の存在論を,つぎの形でもつことになる:
      《「授業」という一体性は,リアリティーとしては存在しない》

    実際,リアリティーは,生徒の<個の多様性>と授業の<個の多様性>の積である。
    内容を以て「一体」に括ることはできない。
    括る形は,つぎが唯一である:
      制度において,これは「授業」である
    即ち,「学校で「授業」として行われているから,それは「授業」だ」というわけである。

    「授業」のリアリティーは,生徒の<個の多様性>と授業の<個の多様性>の積である」と言うとき,生徒特個と授業特個の出会いは,「運」である。
    学校数学の「何でもあり」は,このリアリティーの相である。 「何でもあり」は,「授業運」と表裏になっている。

    「授業運」の現象は,多様である。
    この多様性をつくっているものは,生徒・教師・授業環境・状況の多様性である。