Up 「運」は, 「個の多様生」と同義 作成: 2014-03-21
更新: 2014-03-21


    自分は,「運」として,この授業を受けている。
    しかし,この構図は,他の者にも同じである。
    「授業運」は,お互い様である。

    そして,「授業運」の損得は,わからない。
    実際,授業は特個であり,そしてその特個は系の均衡相である。
    授業の特個には,一定 (いちじょう) の理がある。
    よって,「授業運」も一定の理の実現に他ならない。
    自分の「授業運」を専ら損とする者は,視野が狭いということになる。

    とすると,「授業運」は,自分としなければならない。
    授業の特個は,自分の特個に含めるのでなければならない。
    このとき,「授業運」のお互い様,「授業運」の損得の不明は,各自の特個のお互い様,損得の不明の意味になる。
    そしてこれは,「個の多様性」を改めて述べているに他ならない。

    翻って,「特個」「個の多様性」を言うことは,「運」を言うのと同じである。
    「個」の存在論は,「個」を「運」の形に述べるものである。
    ──本論考では,「個」の存在論はこのようになる。

    存在論の最も単純なものは,「唯物論」である。
    本論考では,「物」が「運」になる。
    「物」と「運」の違いの本質は?
    思考のベースが,単純系か複雑系かである。