Up 攪乱と均衡回帰 作成: 2013-07-30
更新: 2014-03-06


    心臓は規則正しく鼓動し止(とど)まらない。
    止まることは,死ぬことである。
    一方,心臓が規則正しく鼓動し止まらないことは,意識にのぼらない。

    学校数学は生き物である。
    生き物であるとは,活性化しないと萎んでしまい,そして死んでしまうということである。
    学校数学があるとは,<学校数学を活性化し続けているもの>があるということ。
    <学校数学を活性化し続けているもの>は,「学校数学を活性化し続けているもの」というふうには意識にのぼらない。 しかし,これが無くなることは,学校数学が萎んで無くなることである。

    <学校数学を活性化し続けているもの>は,いろいろある。
    これらは,学校数学を保てる形──現前の学校数学がこの<保てる形>ということになる──をつくり,保守している。


    学校数学は,自身を「攪乱と均衡回帰の繰り返しをメカニズムにして生きる系」として現す。 攪乱・均衡回帰を「新陳代謝」にして,生きる。

    一般に,系は,自身の安定の攪乱と復元を,運動する。
    系が現前しているとは,生きているということであり,生きているとは,攪乱・復元を運動しているということである。
    そこで,系は,攪乱を担うモジュールを要し,実際,内在するふうになっている。

    学校数学を攪乱するものは,学校数学が自身の攪乱装置として自ら備えているものを含め,いろいろある。 しかしいちばんに挙げることになるのが,出口論である。
    学校数学は,世の人材論・人材育成論に学校数学出口論で応じる。 この出口論が,学校数学の最も自然な攪乱になる。

    例えば「新指導要領」には,学校教育の系を攪乱する形で学校教育界を「景気づける」という一面がある。 「公共事業」というわけである。

    学校数学出口論には,つぎの「数学的○○」の流れがある:
      「 数学的考え方」→「数学的問題解決」→「数学的リテラシー」
    これは,<経済界・国が求める人材>と重ね合わせられ,そして 「指導要領」も取り込む格好で, 学校数学出口論の主流を形成している。
    学校数学出口論は学校数学の攪乱を機能にもつが,この場合の「数学的○○」の特徴は,数学教育学パラダイムとして学校数学を攪乱するということである。



    さて,出口論はどのように機能するものか?

    出口論は,出口を「生きて働く力」に定める。
    そして,この出口を実現するところの「学校数学」を,「生きて働く力」単元の構成と定める。
    このとき,「生きて働く力」単元の具体的内容 (「何をどう教えるのが,これの授業か?」) は,棚上げにすることになる。
    この棚上げが,学校現場への丸投げになる。
    出口が「箱物」として,学校現場に投じられる。

    一般命題として,「箱物」の現場丸投げは,「攪乱と均衡回帰」のライフサイクルを描いて終わる。
    そして,一つの出口論の終焉の後には,模様替えした新たな出口論が登場し,同じプロセスを開始する。
    これが繰り返される: