Up 授業の「何でもありを以て均衡」 作成: 2013-01-27
更新: 2014-03-06


    授業/学校数学は,その中の存在が細かく蠢めきそして定常均衡する系である。
    蠢動は,授業/学校数学が生きているということである。
    授業/学校数学は,生きる系である。
    そして,蠢動の基本モーメントが,<授業成立に向かう力>である。 ──実際,授業は,成立してこそ授業である。

    <授業成立>に向かわせる力は,多様である。
    そしてそれぞれが,多様に反作用を招じる。
    授業/学校数学の「蠢動の定常均衡する相」を,本論考は「何でもありを以て均衡」と表現する。
    「何でもありを以て均衡」は,「自由で,定まっている」の謂いである。

    「自由で,定まっている」は,パラドックスを言っているのではない。
    物事の系は,視点を近づけて見れば,その中の存在の蠢動の自由が見える。
    視点を遠ざけて見れば,定常が見える。
    自由と定常をつなぐのは,均衡のメカニズムである。


    「何でもあり」は,学校数学の含意であるから,これを改めるという問題ではない。
    「何でもあり」は「何でもありを以て均衡」である。現前は系の均衡相である。 「改める」は,系を壊す意味になる。
    よって,「改める」に対しては,系の自己保守機能が働く。
    「改める」は,抑え込まれて終わるライフサイクルになる。