Up 「何でもあり」の内容 作成: 2013-01-27
更新: 2014-03-06


    学校数学は,何かの目的達成のために存在しているのではなく,人の生活の系として存在している。 そこに棲む者にとって,学校数学は所与であり,自分の生活の場である。
    ここで,自分の生活は,自分の周囲との調整である。
    このメカニズムが,全体として,生活の「何でもありを以て均衡」を現す。
    そしてこれは,学校数学を「何でもありを以て均衡」として現すことに通じるわけである。


    例えば,「学校数学」は,これを勉強する者の間で,同じではない。
    授業者が異なれば,学校が異なれば,地域が異なれば,‥‥,勉強する「学校数学」が違ってくる。
    実際,「何でもあり」である。
    授業/学校数学は,「何でもあり」になる。

    この「何でもあり」の最も直接的な契機は,《算数・数学科の授業は,教員が自分本位につくるものになる》である。 ──実際,教員は,算数・数学科の授業を自分本位につくるのみである。

    このことは,「数学を教える」を取り上げると,はっきりする。
    実際,数学を教えることは,学校教員にはできないことである。
    教員は,自分のできることを「数学の授業」として行うことになる。
    教員は,自分本位で授業をつくるのみである。