Up 「形式」の記述:要旨 作成: 2013-07-14
更新: 2013-09-25


    「形式」の存在措定では,「形式」をカラダの外なる存在とした。
    カラダを,外なる形式に対する同調・受容・反応器とする。
    「形式陶冶」を,外なる形式との同調をするようになるカラダづくりであるとする。

    このとき,「形式」は神秘的なものではなくなる。
    実際,わたしが例えば『数学の授業法』を書くとき,それは数学の授業の形式を書いているのである。
    わたしがこの論を書けるのは,この分野で,鍛錬してカラダをつくってきたからである。 ──これが,「形式陶冶」である。「形式陶冶」は,(カラダの外なる) 形式をとらえるカラダづくりである。

    そこで,「第2部「形式」の記述」は,つぎの論考である:
      《「学校数学=形式陶冶」の「形式」をカラダの外なる存在にしたとき,
       「形式」の記述はどのようなものになるか?》

    「形式」の存在措定は,「形式」の記述で試される。
    実際,「形式」を記述することは,「形式」の存在論をやることである。