Up 数学の出自になる形式:要旨 作成: 2013-09-19
更新: 2013-10-01


    「堆積と風化」「無用の用」は,「学校数学の勉強」のその都度,進行している。
    この運動のなかに,一つの「学校数学の勉強」が直ちに「形式が自分に届く」とつながる位相がある。 数学の出自になる形式が,このときの「形式」である。

      数学は,もともと形式と直結している。
      数学は,形式の学術化である。形式が,数学の出自である。

    実際,数学を勉強するとは,その数学の出自になる形式を勉強することである。
    この形式は,自分に届くものになる。

      この意味で,学校数学の勉強には「直接的形式陶冶」の一面がある。
      (「実質陶冶」のことばは,この「直接的形式陶冶」を指していることになる。)

    そして,この内容を記述することは,「形式が自分に届く」の記述の一つになる。
    実際,「学校数学=形式陶冶」は,「直接的形式陶冶」を生成核にした形で考えるものになる。

      ただし,現前の学校数学はこのレベルで既に難を現す。
      即ち,出自の形式を捉えられるとはその数学をわかっていることと同義であるが,学校教員にとって数学はハードルが高い。