Up 形式の「複雑」レベル 作成: 2013-09-15
更新: 2013-09-15


    「形式陶冶」は,「比較的単純」から「どうしようもなく複雑」まで,いろいろなレベルで考えあわせることになる。
    最も単純なレベルは,「直接的形式陶冶」である。

    「2次関数の勉強」を例にする。
    「直接的形式陶冶」の場合,「形式」はつぎのものである:
      変化率の変化率が一定
      変化率の変化率が一定」に含蓄される形式:
        「2次関数」「関数」「変化率」「定値関数」「1次関数」,その他
    そして,この「形式陶冶」は,「上記の形式が自分に届くカラダに変容」と表現されるものになる。
    実際には複雑なプロセスであるが,時間限定的ないし場面限定的なら,この表現で間に合うこともある。

    「実際には複雑なプロセス」の意味は,2次関数の勉強が誘因になって生成される様々な経験(複雑系)が,カラダの変容に関接するところとなるからである。
    このとき「形式???が自分のカラダに届くカラダに変容」の「???」が,既に言えないものになる。
    複雑すぎて,思考不可能である。

    しかも,これでもまだ単純思考レベルである。
    実際には,これに時間軸が入ってくる。
    即ち,「形式???が自分のカラダに届くカラダに変容」は,つぎの複合として考えるものになる:
      1. 経験(複雑系) の時系列
      2. 「風化」
    そしてこのレベルでは,「2次関数の勉強」は,無数の要素のうちの一つといったふうになり,カラダの変容におけるその意味が見えなくなる。
    これは「2次関数の勉強」の,「無用の用」の様相である。

    「無用の用」は,「学校数学=形式陶冶」をいうときの「形式陶冶」の様相である。
    「形式陶冶」の圧倒的複雑の相が,「無用の用」である。

    また,この圧倒的複雑の相は,「授業等価」の考えに進ませる。
    「部活は何でもよい」と同じ意味で,「授業は何でもよい」を言いたくなる。