Up 「内なる形式」は,表象主義 作成: 2013-09-11
更新: 2013-09-11


    「形式陶冶」は,<内>で起こることがらとして理解される。
    「形式陶冶」の「形式」は,「内なる形式」である。

    「内なる形式」を立てるのは,表象主義である。
    表象主義は,西欧思想・哲学の主流である合理主義の方法である。
    合理主義は,「認識・認知」の説明に<カラダの内なるもの>を立てるところの,<外>と<内>の写像理論である。
    <外>から<内>への写像を立てれば「反映論」であり,<内>から<外>への写像を立てれば「主観的観念論/独我論」である。

    <内>を立てるのは,西欧思想・哲学のクセである。
    これに反対する思想・哲学は,西欧思想・哲学では異端のふうになる。
    Wittgenstein の哲学やプラグマティズムは,この異端タイプの哲学である。


    「内なる形式」は,「概念」と比べるとわかりやすい。
    実際,「形式陶冶」は「概念形成」に通じる。
    どちらも,<内>で起こることがらとして理解される。
    そしてこのとき,「形式」と「概念」は区別されないものになる。
    即ち,「形式」は,「規模の大きな概念」「規模の大きな概念複合体」というものになる。 ──「形式」の規模の大きさは,構造・構成の規模の大きさである。

    つぎを「概念」のメカニズムとするとき,このメカニズムはそっくり「形式」のものである:
    1. 概念形成のメカニズム:
        特個的経験の堆積 → 中身が抜けて「箱」が残る
    2. 概念による対象認知のメカニズム:
        「箱」である概念が,
        対象を「箱の内容」というふうに処理