Up 「学校数学=形式陶冶」の措定へ 作成: 2013-07-14
更新: 2013-09-08


    学校数学を「勉強する者すべてに得がある」ものとして立てようとするとき,その「得」は「数学の実用」とはできない。
    「数学ではないもの」にしなければならない。

    この「数学ではないもの」として,「形式」立てる:
      《「学校数学は勉強する者すべてに得がある」の「得」は「形式」である》
    これが「形式陶冶」の考えである。

    実際,学校数学の勉強の「得」は,「形式」にするのみである。
    これは,学校数学は「形式陶冶」で理由づけるのみということである。
    学校数学に対する「形式陶冶」の理由づけは,この限りでは,消極的理由づけである。

     註 : 本論考は,このときの「形式」の意味を明らかにすることが主題である。
    ここでは,まだ「形式」の意味を問わずに,「学校数学=形式陶冶」の含意を引き出す作業をする。

    学校数学に対する「形式陶冶」の理由づけは,ここまでは消極的理由づけである。
    一方,学校数学は,「人づくり」であるとされる。
    そしてゴール概念の「人」を「形式」で説明するやり方がある。 (「個性・人格・為人」 )
    これは,「学校数学=形式陶冶」の積極的理由づけになる。

    ここに,「学校数学=形式陶冶」は,「学校数学=形式陶冶=人づくり」として,「形式」を学校数学のゴール概念として確立するものになる。──「学校数学=形式陶冶」の措定は,「人づくり」がこれの意味なので,申し分ない (大事の部分では遺漏がない) ものになるわけである。