Up 「成長」は「形式が届くカラダ」の成長 作成: 2013-09-19
更新: 2013-09-19


    素人は,無駄・余計ばかりして,肝心をしない。
    これは「素人」の定義である。
    素人は,外界がノイズになっている様である。
    わけがわからないので,行うことは「無駄・余計」になる。

    経験を積むうちに,ノイズが薄れ,物事の輪郭──物事の「肝心」──が見えてくる。
    このときの「肝心」が,「形式」にあたる。
    そして,「経験を積む」が,「形式陶冶」にあたる。

    形式は,見れば見える,聴けば聴ける,触れば触れるというものではない。
    形式が見える・聴ける・触れるようになるのは,カラダづくりである。
    このカラダづくりは,「成長」と呼ぶにふさわしい。