Up | 成長は,「迂遠」プロセス | 作成: 2011-10-01 更新: 2013-10-01 |
このカラダは直接得られない。 学校数学の勉強という迂遠を通して得るのみである。 「学校数学は何のため?」の答えの要諦は,この「迂遠」の理解である。 この「迂遠」を理解することが,「学校数学は何のため?」の問いを収めることである。 「迂遠」は,ことばによる説明が困難である。 実際,「迂遠」の実感が,「迂遠」の理解である。 「形式が届くカラダ」も,これと同様である。 「形式が届くカラダ」は,これの実感がこれを理解する形である。 そして,「形式が届くカラダ」の実感は「迂遠」の実感と同じことになる。 |