Up 経験の「無用の用」 作成: 2013-10-01
更新: 2013-10-01


    形式が届くカラダの形成プロセスは,自身の経験にリアクションしてカラダが変容するプロセスである。
    この変容プロセスをどのように捉えるか?
    「堆積と風化」は,本論考が提示する捉え方の一つである。
    そしてここにもう一つ,「無用の用」を提示する。

    個々の経験に対し,カラダはこれにリアクションする趣で自身を変容する。
    変容の結果になるカラダを,「その経験の影響」のように読む。
    「影響」は,時間が経つともにかすんで見えなくなる。
    これを「消失」のように読むとき,「堆積と風化」の成長観になる。
    「消失」ではなく「埋没」のように読むとき,ここで提示する「無用の用」の成長観になる。

    ここで謂う「無用の用」は,経験の「無用の用」である。
    「無用の用」は,『荘子』に出てくるものである。
    この論法を適用する:
      「埋没」の相で見られた経験は,個々には「無用」に見える。
      それは「無用」か?
      「無用」を言い出せば,あれもこれも「無用」になる。
      翻って,成長のいまの相は,「無用」でなっている。
      「無用」は「用」である。

    わたしは,「2次関数」の学習を経験してきている。
    この経験は,いまのわたしにとって「無用」のふうに見える。
    しかし,いまのわたしは,この種の「無用」で成っている。
    「2次関数」の「無用」は,「無用の用」である。