Up 経験の「堆積と風化」 作成: 2011-10-01
更新: 2013-10-01


    形式が届くカラダの形成プロセスは,自身の経験にリアクションしてカラダが変容するプロセスである。
    この変容プロセスをどのように捉えるか?

    本論考は,捉え方の一つとして,「堆積と風化」をここに提示する。
    個々の経験に対し,カラダはこれにリアクションする趣で自身を変容する。
    変容の結果になるカラダを,「その経験の影響」のように読む。
    「影響」は,時間が経つともにかすんで見えなくなる。
    これを「消失」のように読むとき,「堆積と風化」の成長観になる。

    風化造形は,直接造形できない。
    堆積と風化という迂遠を通して,造形になる。
    風化造形の要諦は,「直接造形できない」である。
    これを,「勉強」「成長」にあてはめる。
    「勉強」は「堆積」のプロセスであり,これの「風化」として現れてくるものが「形式が届くカラダ」である。

     註 : 仏教用語に「往相・還相」というのがある。
    わたしはこれを単純に「修行」(「勉強」) の話ということにして,「堆積・風化」のことを言っていると解する。
    特に,「往相・還相」はある区切りの前後の相というものではなく,互いに逆方向のベクトルの相という理解になる。
    『論語』為政篇のつぎの一節も,「往相・還相」「堆積・風化」で読むところとなる:
      十有五而志于学
      三十而立
      四十而不惑
      五十而知天命
      六十而耳順
      七十而従心所欲,不踰矩