Up 「求めるものが届く」の解釈 作成: 2013-10-06
更新: 2013-10-06


    「形式が届く」の言い方は,「カラダは形式に対し受動的」の響きがある。
    一方,「求めるものが届く」の実感があり,これは「カラダは形式に対し能動的」の響きである。
    実際,この「能動的」を重くして「能動の主」を立てるとき,「内なる形式」になる。
    「外なる形式」は,「求めるものが届く」をどのように解釈することになるか?

    「求める」は,「カラダが求める」である。
    「カラダが求める」は,「カラダ (=傾性)」自体である。
    そこで,「求めるものが届く」は,「カラダに届くべきものが届く」と同じである。
    そして,「カラダに届くべきものになっている形式が届く」が,「形式が届く」の意味である。

    「内なる形式」は,カラダのなかに能動の主を立てる思考法 (表象主義) による。 ──能動の主が,「内なる形式」である。
    これに対し本論考は,「カラダ=傾性」を立てる。そこで,「外なる形式が届く」となる。 ──「能動」の響きは,「傾性」から出てくるものである。