Up 「学力問題」 作成: 2013-07-07
更新: 2013-07-09


    「形式陶冶」論は,「学校数学を勉強する」と「形式を得る」の間の因果律を立てる論である。
    しかし因果律は,「学校数学」と「形式」の同定が先決問題になる。
    理論構築は,このときつぎの二つの立場に分かれる:
    1. 「学校数学」を定めて,これに応ずる「形式」を保留にする
    2. 「形式」を定めて,これに応ずる「学校数学」を保留にする

    Bは,「形式」を「生きて働く力」に定める。
    「学校数学」を,「生きて働く力」単元の構成と定める。
    「生きて働く力」単元の具体的内容 (「何をどう教えるのが,これの授業か?」) は,棚上げにする。
    実際,学校現場に丸投げされる。


    Bは,必然的に,「学力低下」の問題を抱えることになる。
    B主導の学校数学は,「学力低下」が社会問題になる。そして,Aに主導権を返すことになる。 ──これがお定まりである。

    Bは,「学力低下」の論難から自身の論を守らねばならない。
    このときBは,「学力論」を提起する。
    「学力は数学の試験の点数で評価されるものではない」という論である。

    Bの方法が陶冶したとする学力──数学の試験の点数で評価されるものではない学力──は,提示ないし実証できるものではない。
    これは,Bの弱みにもなるが,強みでもある。
    すなわち,「学力論」は実証されないかわりに,反証もされないからである。