Up 固定の順序の2通りが「形式陶冶」論の2通りに 作成: 2013-06-11
更新: 2013-07-09


    学校数学は何のため?」の答えは,すべての生徒に学校数学の勉強は,あなたに得がある」と答えるものとしては,「学校数学 → 形式」の因果図式を以て,「形式」が得であると答えるところとなる。
    「形式陶冶」を立てることは,「学校数学を勉強する」と「形式を得る」の間の因果律を立てることである。

    しかし因果律は,「学校数学」と「形式」の同定が先決問題になる。
    そして理論構築は,このときつぎの二つの立場に分かれる:
    1. 「学校数学」を定めて,これに応ずる「形式」を保留にする
    2. 「形式」を定めて,これに応ずる「学校数学」を保留にする


    先に,「形式陶冶」の2類型──形式関接陶冶主義と形式直接陶冶主義──を導入しているが,形式関接陶冶主義はAと重なり,形式直接陶冶主義はBと重なることになる。

    Aは,「学校数学」を数学に定める。
    「形式」として,いくつかの精神的資質を挙げる。
    「数学 → 精神」の因果律は,不可知として棚上げにする。

    Bは,「形式」を「生きて働く力」に定める。
    「学校数学」を,「生きて働く力」単元の構成と定める。
    「生きて働く力」単元の具体的内容 (「何をどう教えるのが,これの授業か?」) は,棚上げにする。


    Aは,「形式」の「何でもあり」論に陥る/陥りやすい。
    Bは,「学校数学」の「何でもあり」論に陥る/陥りやすい。

     註1. 「数学教育改造運動」での「形式陶冶説批判」は,BがAの形式陶冶説を批判するものである。
      2. 学校数学目的論/出口論は,Bである。
    特に,「数学的考え方/問題解決/リテラシー」は,Bである。