Up おわりに 作成: 2013-07-09
更新: 2013-07-09


    本論考は,全体論考の一モジュールとしてとしてつくったものである。
    全体論考は,「学校数学」の意味の論考である。

    本論考は,つぎが結論になる:
    1. 学校数学は「形式陶冶」として立つのみである。
    2. 「形式陶冶」の理論構築は,「学校数学」と「形式」の間に因果律を立てるものとして,「学校数学」と「形式」の確定が先決問題になる。
      このときつぎの二つの立場に分かれる:
      1. 「学校数学」を定めて,これに応ずる「形式」を保留にする
      2. 「形式」を定めて,これに応ずる「学校数学」を保留にする

    Aは,「学校数学」を数学に定める。
    「形式」として,いくつかの精神的資質を挙げる。
    「数学 → 精神」の因果律は,不可知として棚上げにする。
    Bは,「形式」を「生きて働く力」に定める。
    「学校数学」を,「生きて働く力」単元の構成と定める。
    「生きて働く力」単元の具体的内容 (「何をどう教えるのが,これの授業か?」) は,棚上げにする。

    全体論考である「学校数学」の意味の論考は,Aを立場にしようとするものである。
    ただし,このとき「学校数学」の「何でもあり」を同時に見ることになる。

    「何でもあり」を見るとき,生徒の側からの「学校数学は何のため?」であるところの
      学校数学は,自分にどんな得がある?
    は,さらに
      自分の学校数学は,自分にどんな得がある?
    でなければならない。
    本論考を経た全体論考のつぎの主題は,「この問いに対する答えは,どのような構造のものになるか?」である。