Up 「形式陶冶説批判」 作成: 2013-07-08
更新: 2013-07-28


「形式陶冶説批判」とは何であったのか?──長田新の場合


    「形式陶冶説批判」は,つぎの論である:
      「無用の純粋数学の勉強を課すことが,"形式陶冶" のことばで合理化されている。
       この論法は,排されねばならない。
       無用の純粋数学の勉強を課すことに,説明は立たない。
       実用数学が,無用の純粋数学に取って代わらねばならない。」

    これは,形式関接陶冶主義 (数学→形式) に対する批判である。
    先ず,この点をはっきり確認しておく必要がある。
    なぜかというと,「形式陶冶説批判」というと長田新の名前が最初に登場するのであるが,長田新の形式陶冶説批判は,形式関接陶冶主義 (数学→形式) に対する批判にはなっていなくて,形式直接陶冶主義 (形式→形式) に対する批判ということになるからである:
    「元来吾々の経験従て又学習は具体的一元的のものであって,其処には形式を離れた内容も無ければ,内容を離れた形式もない。 形式とか内容とかは,具体的な一元的な如実の経験に,吾等が反省を加えて抽象した単なる概念である。 吾等の経験に於て内容を離れた形式が存在すると云うが如きは,極めて幼稚な形而上学的の考である。
    ‥‥
    凡そ経験に於ける形式と内容とは具体的には一如である。 能力説に依れば吾々の精神には,作用に対して作用主としての能力があるというのであるが,‥‥ 作用ある以上作用の主があり,現象ある以上その現象を惹き起す主がなくてはならぬというのは,幼稚な形而上学に過ぎない。
    ‥‥
    作用の外に作用の主はない。現象の外に現象の主はない。 作用の外の作用の主,現象の外の現象の主は,概念による分析の結果であって,事実に当るものではない。
    ‥‥
    推理とか判断とかいうのは,‥‥決して推理力とか判断力とか云わるべき能力が本来実在して居って,その特殊能力が発現したのではない。」
     (長田 1925, pp.37,38)

    例えば,「数学的問題解決」は,形式直接陶冶主義 (形式→形式) であり,<作用主ー作用>として「問題解決能力が問題解決をする」を立てる。 そして,学校数学を「問題解決能力の直接陶冶」に構成しようとする。
    長田新が「形式陶冶説批判」として批判しているのは,この発想の仕方である。

     註 : 長田新のここでの哲学は,プラグマティズムである。
    能力説を批判しているが,今日ではこれは認知科学批判である。


    「形式陶冶説批判」が形式関接陶冶主義 (数学→形式) に対する批判であることを確認したところで,「形式陶冶説批判」がどんな批判になるかを,ここで押さえておく。
    この批判は,つぎの2タイプである:
      F1.「形式関接陶冶主義は誤り
      F2.「形式関接陶冶主義だと,どんな教材も合理化されてしまう

    長田新は,F1 をやっているつもりで,「形式直接陶冶主義は誤り」を論じた。
    本論考は,F1 タイプの批判は方法が無いと見る。
    実際,形式関接陶冶主義が,本論考の立場である。

    また,F1をどう済ませようとも,学校数学が「形式陶冶」に寄り掛からずには立たないことを認めねばならない。
    そこで,「形式陶冶説批判」は,F2 の形に収まっていくことになる。
    即ち,つぎの小倉金之助の言のようになる:
    「それですから,従来のように,形式陶冶を唯一の根拠──少なくとも最大なる根拠として,数学教育の価値を評価することは,よほど譲歩せねばならぬことになったのであります。 少なくとも単に「頭を錬るがために」を唯一の標語として,従来のような数学によって,児童を苦しめるだけの価値ありや否や。──ここにわれわれが反省せねばならぬ大なる問題が横たわっていると思われます。
    いずれにしても数学教育は教材の内容において,児童の生活に即したものでなければなりません。 内容の貧弱,有害不当な材料を,形式陶冶説の保護の下に隠すがごとき卑劣な態度を,われわれは断乎として排斥せねばなりません。 われわれは形式陶冶──あの神秘の隠れ蓑を除き去っても,実質において真に価値ある学校数学を作り上げねばなりません。」
     (小倉 1925, pp.70, 71 [p.215])

    そもそも F2 は,「形式陶冶説批判」になる以前に,<何でもあり>批判になるべきものである。
    即ち,つぎが批判の言い方になる:
      数学は,そういうふうに教えるものではない。
       数学は,こういうふうに教えるものだ。

    しかし,「形式陶冶説批判」と併せて提起された学校数学は,つぎのものである:
      《子どもの「生活」に即した,「実質において真に価値ある」教育内容の構成》
    批判と併せて教授法を立てる段になると,「数学」から離れようとする傾向性を現してしまうわけである。
    そして,そうなった学校数学は,「何をどう教えるか」を棚上げにするのが定めである。 (「形式」を定め「学校数学」を保留に

    「数学とはこういうふうに教えるものだ」の形の批判が現れなかったのは,なぜか?
    「数学とはこういうふうに教えるものだ」の概念が持たれなかったため,ということになる。

    実際,「数学とはこういうふうに教えるものだ」の概念が持たれないのは,数学教育界の傾向性というべきものである。
    この傾向性は,1960年代の「数学教育現代化」で,特にはっきりと観察されるものになる。 ──「数学教育現代化」は,「数学とはこういうふうに教えるものだ」が無くて,数学を教えようとした。

    数学から数学教育に入る者は,「数学とはこういうふうに教えるものだ」の「教える」が抜ける。
    教育から数学教育に入る者は,「数学とはこういうふうに教えるものだ」の「数学」が抜ける。
    これは構造的必然であり,致し方ないことである。



    引用・参考文献

    長田新 (1919a),「形式陶冶論の吟味」
      帝国教育, 第446, 447号, 1919

    ─── (1919b),「教育上からみたる純正数学と実用数学との争」
      考え方, 第3巻, 3号, 1919

    ─── (1923), 「形式陶冶ニ関スル最近ノ論争」
      広島高等師範学校附属中学校数学研究会, 日本中等教育数学会雑誌, 第5巻, 第2号, 1923
      学校教育, 第118号, 1923

    ─── (1925), 『形式的陶冶の研究』
    小倉金之助 (1919),「理論数学と実用数学との交渉」
      東京物理学校雑誌, 第331号, 1919

    ─── (1923),「数学教育ノ意義」
      広島高等師範学校附属中学校数学研究会, 日本中等教育数学会雑誌, 第5巻, 第4.5号, 1923

    ─── (1924), 『数学教育の根本問題』
      イデア審院. 1924 [『小倉金之助著作集 4』, 勁草書房, 1973]

    ─── (1925),「数学教育改造の基調」
      算術教育, 第35号, 1925 [『小倉金之助著作集 4』, 勁草書房. 1973, pp.161-251])

    ─── (1932),「数学教育進展ノ為メニ」
      広島高等師範学校附属中学校数学研究会, 日本中等教育数学会雑誌, 第14巻, 第4.5号. 1932

    林鶴一 (1924), 「開会ノ辞」
    國枝元治(1924), 「数学教育雑感」
    角達介(1924), 「現今数学教授ニ於ケル諸問題」
      広島高等師範学校附属中学校数学研究会, 日本中等教育数学会雑誌, 第6巻第4.5号. 1924

    中谷太郎 (1972), 「日本数学教育史 7,8」
      数学教室,No.232-233, 1972.