Up 「数学的○○」 作成: 2013-07-08
更新: 2013-07-08


    学校数学は何のため?」の答えは,すべての生徒に学校数学の勉強は,あなたに得がある」と答えるものとしては,「学校数学 → 形式」の因果図式を以て,「形式」が得であると答えるところとなる。
    ただし,因果図式「学校数学 → 形式」における「学校数学」と「形式」の同定の問題で,二つの立場に分かれる:
    1. 「学校数学」を定めて,これに応ずる「形式」を保留にする;
    2. 「形式」を定めて,これに応ずる「学校数学」を保留にする。

    Aは,「学校数学」を数学に定める。
    「形式」として,いくつかの精神的資質を挙げる。
    「数学 → 精神」の因果律は,不可知として棚上げにする。

    Bは,「形式」を「生きて働く力」に定める。
    「学校数学」を,「生きて働く力」単元の構成と定める。
    「生きて働く力」単元の具体的内容は,棚上げにする。(学校現場に丸投げする。)


    今日,Bタイプであって学校数学をリードしてきているものは,「数学的考え方」「数学的問題解決」「数学的リテラシー」の「数学的○○」である。
    これは,「数学的○○」の出口論を立て,これに応ずる「学校数学」の構築を課題に立て,そしてこの課題を数学教育界・学校現場に丸投げする。

    数学教育界・学校現場は,この丸投げでひとしきり攪乱される。
    ただし,攪乱は,数学教育界の経済活性化である。
    翻って,「数学的○○」の出口論は,数学教育界にとって,「経済効果」の意味がある。

    一つの「数学的○○」は,「数学的考え方」「数学的問題解決」「数学的リテラシー」の例では,およそ20年をライフサイクルにする。
    このライフサイクルの意味は,
      《「数学的○○」の出口論に応ずる「学校数学」の構築の課題が,飽きられる》
    である。そしてこれは,
      《経済効果が減衰する》
    の意味でもある。



    理論としての「数学的○○」には,つぎの問題がある:
      形式陶冶に「数学的」をつけることは,
       却って錯誤を深める方向に進んでいないか?

    実際,数学を勉強することは,「数学的」になることか?
    「数学的」から外れる方が事実だとしたら?
    すなわち,従来型「一般陶冶」の方が事実に近いとしたら?