Up 数学主義 作成: 2013-06-25
更新: 2013-07-02


    明治30年代における日本の数学教育の確立には,時の文部大臣菊池大麓と東京帝国大学教授の藤澤利善太郎が尽力があった。
    彼らの数学教育観は,「形式主義」「規約主義」「分科主義」「数え主義」といったことばを並べて評される。

    彼らは,学校数学を数学を教える営みと定める。──ここでは,これを「数学主義」と呼ぶことにする。
    「形式主義」「規約主義」「分科主義」「数え主義」は,「数学主義」の系 (corollary) といったものである。

     註 : この数学主義の意味を理解するためには,当時の状況を考え合わせる必要がある。 それは,入学試験に通るための問題求答主義の風潮である。 数学主義には,問題求答主義を退ける意味合いがある。


    数学主義の「学校数学は何のため?」は,つぎのようになる:
      「生徒は数学を勉強する;生徒は精神・教養を身につける」
    「生徒は数学を勉強する;生徒は精神・教養を身につける;国/社会は精神・教養・文化を得る」

    ここで誤解のないよう強調しておくが,数学主義は菊池・藤澤の「学校数学は何のため?」の一面ないし特徴点である。全貌を括る表現のように受け取ったら,間違いである。
    実際,これは敢えて言うまでもないことである。
    学校数学に携わる者なら,だれでも,「学校数学は何のため?」を述べる際の内容の遺漏に留意する。 一つを挙げてそれで足れりとする者はいない。
    とりわけ「学校数学は何のため?」を「国の数学教育の確立」の立場から述べる段になれば,言うことはみな一緒になる:
      「第一ニハ計算的熟練,
       第二ニハ緻密ナル思想ヲ養成スルコト,
       第三ニハ実用的知識ヲ與フルコト」(藤澤, 1900, p.63)


    参考文献
    菊池大麓, 1897 (明治30), 『幾何学講義』(第一巻), 大日本図書
    藤澤利喜太郎, 1895 (明治28), 『算術條目及教授法』, 丸善
    藤澤利喜太郎, 1900 (明治33), 『数学教授法講義筆記』, 大日本図書
    小倉金之助, 1957, 『現代数学教育史』, 大日本図書