Up 「単元学習」 作成: 2013-07-07
更新: 2013-07-07


    学校数学は何のため?」の答えは,すべての生徒に学校数学の勉強は,あなたに得がある」と答えるものとしては,「学校数学 → 形式」の因果図式を以て,「形式」が得であると答えるところとなる。
    ただし,因果図式「学校数学 → 形式」における「学校数学」と「形式」の同定の問題で,二つの立場に分かれる:
    1. 「学校数学」を定めて,これに応ずる「形式」を保留にする;
    2. 「形式」を定めて,これに応ずる「学校数学」を保留にする。

    Aは,「学校数学」を数学に定める。
    「形式」として,いくつかの精神的資質を挙げる。
    「数学 → 精神」の因果律は,不可知として棚上げにする。

    Bは,「形式」を「生きて働く力」に定める。
    「学校数学」を,「生きて働く力」単元の構成と定める。
    「生きて働く力」単元の具体的内容は,棚上げにする。(学校現場に丸投げする。)


    「単元学習」(「生活中心カリキュラム」) は,Bが明瞭に立てられた例である。
    「単元学習」の思想は,「学習指導要領 算数科数学科編 (試案)」(昭和22年) の「はじめのことば」に,簡潔に見ることができる。 ──以下,あたまの部分を引用する:
     教育の場は子供の環境であり,教育のいとなみは,子供の生活を指導するものである。その子供の生活とは,環境に制約をうけながら,なお環境にはたらきかけて,子供が日々にのびて新しいものとして生きていく過程であるといえる。
     したがって,一方においては子供が意識的に環境にはたらきかけていくように指導しなければならない。そしてそのようにさせることによって,子供の環境はだんだん空間的にひろがっていくと共に,内容的にも深まっていく。
     他方においては,このように変わっていく環境に応じて生活していくために,子供が環境を秩序だてていくように指導しなければならない。このようなことをするためには,必然的に子供が今までに体験したことがらや観察したことがらを整理し秩序だてて書き表わしていく必要にせまられる。
     数学教育において,現象を処理していく時に着眼するところは,数的であるか量的であるか,形的であるといえる。
     現象を処理していくことそれ自体は,広い意味において,人間社会に対してのはたらきかけであり,人間社会に対して関心をもっていることを示すものである。このように考えると,現象を処理することは,数学教育の社会的な目標であるといえる。また,現象を処理するためには,当然いろいろな計算や測定をしなければならない。これは数学教育の数学的な目標である。これはまた,社会人として必要欠くことのできないものであるから,社会的な目標であるともいえる。

    「単元学習」は,Bタイプの常として,「学力低下」の社会問題を生じさせる。
    ひとしきり「学力論争」があり,そして,Aタイプに主導権を返し,終わる。
    ── 改訂「学習指導要領」(小・中ともに昭和33年10月)が,このときの「Aタイプの主導権」になるものである。