Up | 要 旨 | 作成: 2013-07-14 更新: 2013-07-14 |
勉強が進むにつれ,形式が感じられるようになり,意識されるようになる。 形式の手応えをもてるようになると,形式の陶冶を課題にできるようになる。 「形式陶冶」の構えで勉強の対象に向かうようになる。 「形式陶冶」の構えで勉強の対象に向かうようになった勉強は,「修行」である。
形式が感じられてくるようになるまで,勉強を積む。 これは,時間と忍耐の要することである。 形式の手応えをもてるようになり,形式の陶冶を課題にできるようになるには,さらに勉強を積まねばならない。 こうして,やっと「修行」の入り口に立つ。 「修行」は,「修行」に入れるようになるまでの道のりが長い。 そして「修行」に入ってからの道も,長くて終わりがない。 学校数学の「形式陶冶」は,「修行」と対照させることで,また新たな理解の仕方に進むことができる。 「修行」は意識的「形式陶冶」である。 対して,学校数学の「形式陶冶」は,無意識的/暗黙的「形式陶冶」である。 そこで,意識的「形式陶冶」の場が「道場」,無意識的/暗黙的「形式陶冶」の場が「学校」である。
では,無意識的/暗黙的「形式陶冶」は「形式陶冶」の初等レベルかというと,そうも言えない。 無意識的/暗黙的であることが必要という場合も,あり得る。 「無意識的/暗黙的」に対する「意識的」は,「レベルが高くなる」と「別物になる」の両方で考えることになる。 |